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京都簡易裁判所 昭和57年(ハ)1424号 判決 1984年9月27日

原告 柳田伸一

右訴訟代理人弁護士 猪野愈

被告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 坪野米男

同 堀和幸

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し別紙物件目録記載の家屋を明渡し、且つ昭和五七年一〇月一〇日以降明渡ずみまで一か月二万円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

旨の判決

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

請求が認容される場合には予備的に仮執行免脱の宣言

第二当事者のなした主張

一  請求の原因

1  物件目録記載の家屋(以下、本件家屋という。)は原告の父亡柳田益之助が所有していたが、同人は昭和四一年一二月一日死亡し、原告が相続して、その所有である。

2  被告は本件家屋を占有している。

3  よって、原告は被告に対し所有権に基づき本件家屋の明け渡しと本訴状送達の日の翌日である昭和五七年一〇月一〇日から明渡ずみまで一か月二万円の割合による賃料相当の損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3の事実中、本訴状送達日の翌日が昭和五七年一〇月一〇日であることは認め、その余は争う。

三  抗弁

1  昭和三五年一二月一二日原告の父亡柳田益之助(以下、益之助という。)を賃貸人とし、当時被告の内縁の妻であった乙山春子(以下、乙山という。)を賃借人とし、本件家屋につき賃料一か月七〇〇〇円、権利金四〇万円、期間五年の約定で賃貸借契約が締結され成立した。

2  右契約に基づき昭和三六年一月九日亡柳田益之助を賃貸人とし本件家屋につき建物賃貸借契約公正証書が作成された。その内容は、期間は昭和四一年一月八日までの五年間とし、期間満了の際双方協議の上再契約することが出来るものとし、賃料は、一か月七〇〇〇円として持参前払いする、使用目的は営業用及び住居用に限る、敷金は、一〇万円とし、被告を連帯保証人とするなどの約定であった。右公正証書の作成には原告が賃貸人の代理人として関与した。

3  被告は、死亡した先妻の子供三人を郷里の母に預け、京都でネオン工事業を始め、昭和三五年九月頃乙山を内縁の妻とした。被告は、亡柳田益之助から前記1のように本件家屋を賃借するに当り賃借人を内妻名義にしてやった方が内妻のはげみになってよいと考え、賃貸人の了解を得て乙山名義で賃借した。しかし、当初の権利金四〇万円も、電話加入権買受代金二〇万円も、本件家屋の造作改築費三八万五〇〇〇円、電気設備工事費六万八〇〇〇円、営業用ネオン看板新設費四万七〇〇〇円もすべて被告が支出し、1の契約締結にも被告が賃借人の代理人として関与し、2の公正証書でも被告が連帯保証人となっており本件家屋の月々の賃料もすべて被告が負担してきた。

4  ところが、乙山は昭和三六年九月頃家を退去して内縁関係が解消してしまったため、被告は一人では営業兼生活ができないので、以来郷里から子供三人を呼び寄せて本件家屋で同居することとなり、昭和三八年一一月二九日現在の妻花子と再婚して以来は妻も同居し、被告は現在妻とその実母と二男二郎と本件家屋に居住してネオン工事業を続けている。

5  ところで、亡柳田益之助は、賃貸当時から本件家屋の西裏に居住しており、被告の内妻乙山が家出したこと、被告が子供を引取り、又昭和三八年一一月二九日妻花子と再婚したこと等をすべて知悉しておりながら、なんらの異議も留めず、乙山名義のまま四年以上にわたり被告から賃料を受領し続けてきたのであり、右益之助は被告を実質上の賃借人と認めてその居住を承認してきた。

6  しかるに、益之助は、昭和四一年一月一〇日書面を以て、乙山に対し(1)長男伸一(原告)が両親を扶養するため本件家屋に居住する必要があり、(2)賃貸借期間が満了した。(3)なお、公正証書七条に違反している点からも本件家屋賃貸借契約を解除する旨の契約解除の意思表示を発信し、同日被告に対し書面を以て「乙山に賃貸したもので貴殿に賃貸したものでないから至急本件家屋を明け渡せ」と所有権に基づく明渡の申入れをし、いずれも同日頃、被告に到達した。

そこで、被告は亡益之助に対し、昭和四一年一月一〇日家屋明渡異議申述書及び同年一月一一日回答書を以て、被告が本件家屋の実質上の賃借人であり、被告は既に乙山と離別し、期間満了は契約の終了とならず、自己使用の必要性は正当事由とならない旨反論し、右各書面はその頃亡益之助に到達した。

7  ところが、以来、亡益之助、同人死亡後原告は、賃料の受領を拒絶しながら、本件家屋明渡につき何も言って来なかったので、被告は昭和四一年一月分から昭和五七年九月分まで約一七年間にわたり賃料一か月七〇〇〇円の割合で供託を続け今日に至った。

8  その間益之助は請求原因1のとおり死亡し、被告も近隣の誼みで葬式にお参りしたが、被告は本件家屋を賃借権に基づき占有しているものであり、原告は益之助の相続人として本件家屋の所有権のみでなく本件家屋賃貸人の地位を承継したものである。

9  本件家屋賃貸借は前記1のとおり昭和三五年一二月一二日亡柳田益之助を賃貸人とし、賃借人を形式的に被告の内縁の妻である乙山とするが、実質的に当初から被告とする約定として成立し、即日効力を発生した。被告は、本件家屋に、その実質上の賃借人として居住し、自己の営業用店舗として本件家屋を使用し、その権利金、敷金、家賃を負担していた。

10  9の約定が認められないとしても、被告は乙山が被告との内縁関係を解消した昭和三六年九月頃乙山から本件家屋賃借権を譲り受け、乙山がその頃本件家屋から退去した直後亡益之助から賃借権譲受につき明示の承諾を得た。

11  10の明示の承諾のあったことが認められないとしても、次の事実関係から、被告はおそくとも昭和四一年一月八日本件契約の最初の期間満了日までには乙山からの賃借権譲受けにつき益之助から黙示の承諾があったと認められるべきである。

(1) 乙山は当初の契約日である昭和三五年一二月一二日から僅か九か月間で本件家屋から退去しており、以後同四一年一月一〇日まで四年数か月間被告は亡益之助から何らの異議も申し立てられなかった。

(2) 乙山が本件家屋から退去後間もなく、被告が被告の子供三人と被告の実母を本件家屋に引取り、被告の家族として同居している事実を、本件家屋敷地と地続き同番地上、同家の真裏に居住していた亡益之助は日々見聞きして知っていたと認められる。

(3) 昭和三八年一一月二九日被告が現在の妻花子と再婚して以来本件家屋に同居している事実を毎月の家賃の支払いや近所つき合いの中から亡益之助は充分承知していた。

(4) 昭和三九年五月被告の実母が死亡したとき亡益之助の妻愛子が通夜に来ており、亡益之助も被告の実母の死亡の事実を知っていたと認められる。

(5) 被告の氏名のみを記した表札が昭和三五年一二月一二日賃借当初から本件家屋に掲示され、「第一ネオン」の商号でネオン工事業を営んでいた被告の営業用看板も本件家屋正面の屋根に掲示されていることを亡益之助は充分承知していた。

(6) 以上の諸事実を知りながら亡益之助は何らの異議をとどめずに賃料を受領していた。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1ないし8の事実について、1のうち、当時被告の内縁の妻とある部分は知らない。その余は認める。2は認める。3のうち、公正証書で被告が賃借人の連帯保証人となっていることを認め、その余は知らない。4は知らない。5のうち被告が妻花子と再婚した時が昭和三八年一一月二九日であることは争い、その余は知らない。6のうち亡益之助が被告主張の頃被告に対しその主張の本件家屋明渡しの申入れをし、被告からその主張の当時その主張の回答がなされたことは認める。7のうち、亡益之助、その死亡後原告が被告主張のように賃料の受領を拒絶したこと、被告が亡益之助、原告に対し被告主張の期間その主張の供託をしてきたことを認め、その余は争う。原告は永く京都に居住せず、最近(昭和五七年一一月にかなり近い過去時点)に至って京都に帰ってきたので本訴を提起した次第である。8のうち、益之助が死亡したこと、その本件家屋所有権を原告が亡益之助の子として相続したことはいずれも前記二2のとおり認めるが、その余は争う。

2  抗弁9ないし11の事実について。9のうち本件賃貸借契約が昭和三五年一二月一二日亡益之助を賃貸人とし乙山を賃借人として成立したこと、被告が当初から本件家屋に居住していたことはいずれも認める。被告が同日から本件賃貸借契約の実質上の賃借人となる約定であったことは否認する。被告が当初から本件家屋をその営業用店舗として使用し、その権利金、敷金、家賃を負担していたこと、被告が本件家屋でネオン工事業をしていたことは知らない。10のうち、被告が乙山から本件家屋賃借権を譲り受けたのは、乙山が被告との内縁関係を解消した昭和三六年九月頃であることは知らず、その余は否認する。乙山と被告が内縁関係にあったか否か昭和三五年一二月一二日当時亡益之助が知る筈もなく、何故乙山を賃借人とするかにつき説明もなかった。11のうち冒頭乙山から被告に賃借権の譲渡があったことは知らず、右譲渡につき亡益之助の黙示の承認があったことは争う。乙山から亡益之助には賃借権の譲渡につきなんの意思表示もなく本件賃貸借契約の五年間の契約期間内亡益之助は賃借人乙山の賃料として賃料を受領して来ていたのであり、右期間経過後、何人からも賃料を異議なく受領したことはなく、むしろ明渡を求めて来ているので黙示の承諾があったという被告の主張事実を争う。

五  再抗弁

本件賃貸借契約の効力発生の始期は昭和三六年一月九日であり、それまで本件賃貸借は効力を生じない。

六  再抗弁に対する認否

否認する。本件賃貸借の効力発生は昭和三五年一二月一二日であった。

第三証拠《省略》

理由

一  本件家屋は、原告の父亡柳田益之助が所有していたが、同人は、昭和四一年一二月一日死亡し、原告が相続して、その所有であること、被告が本件家屋を占有していることはいずれも当事者間に争いがない。

二  原告の所有権に基づく家屋の主たる明渡請求に対し、被告は、本件家屋占有に正権原があると主張するから、この抗弁について判断する。

昭和三五年一二月一二日益之助を賃貸人とし、乙山をすくなくとも書面上の賃借人とし、本件家屋につき賃料一か月七〇〇〇円、権利金四〇万円、期間五年の約定で賃貸借契約が成立したことは当事者間に争いがない。

ところで、右契約に基づき昭和三六年一月九日原告が賃貸人の代理人となって、本件家屋につき建物賃貸借契約公正証書が作成された。その内容は、期間を昭和四一年一月八日までの五年間とし、期間満了の際双方協議の上再契約することが出来るものとし、賃料は一か月七〇〇〇円として持参前払いする。使用目的は営業用及び住居用に限る。敷金は一〇万円とし、被告を連帯保証人とするなどの約定であった。以上の事実は当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によれば原告は益之助の長男である。

原告は、再抗弁として本件賃貸借契約につき昭和三六年一月九日の始期が約定されていたのであり、それまで、昭和三五年一二月一二日に成立した本件賃貸借契約は効力を生じない旨主張する。前叙争いのない事実に《証拠省略》をあわせると、原告の主張する契約の効力発生の「始期」につき昭和三五年一二月一二日に成立した本件賃貸借契約には、原告の主張にそう約定というべきものを見出すことができない。さりとて、昭和三六年一月九日作成された前叙公正証書に「賃貸借期間は本日より昭和四一年一月八日までの五ケ年間とする。」(第二条)と記載されている「本日」に当たる右公正証書の作成日にこれを昭和三五年一二月一二日成立した本件賃貸借契約効力発生の始期を定めた約定を認めるに足る事実又は証拠もない。まことに右公正証書第二条が本件賃貸借期間の末日であることを明記している昭和四一年一月八日から五年遡れば本件賃貸借期間の単位は年であるから、民法一四〇条、一四一条、一四三条を類推し昭和三六年一月九日が末日となる。しかし、それは、同日が本件賃貸借期間の起算日であることを意味する。そして、他に原告主張の約定を認むべき証拠はなく、二冒頭に争いのない事実、《証拠省略》をあわせて検討しても、昭和三六年一月九日は前叙公正証書第二条で定められた賃貸借期間の起算日に過ぎず、同条で賃貸借期間が定められたのは、さきに成立した本件賃貸借契約内容を補充し、紛争を予防するため将来に向って公証した紛争予防を主旨とするものであると認めるのが相当であるから、原告の前叙主張を採用することはできない。

被告は、本件賃貸借が成立した昭和三五年一二月一二日当初から乙山は形式上の賃借人であったに過ぎず、被告が当時から実質上の賃借人であると主張する。しかし、《証拠省略》によれば当初成立した本件賃貸借契約にも、その後作成された公正証書による賃貸借契約にも賃借人が乙山と記載されていること、当初成立した契約(契約覚書)に借主が連帯保証人一名を立てる旨の約定があること、公正証書による契約で被告が賃借人乙山の連帯保証人と定められたのが当初の約定(契約覚書)に基づくものであったことを認めることができ、さらに《証拠省略》によれば、被告も自己が右賃借人の連帯保証人となったことを承知していることが認められ、このように、乙山が賃借人として連帯保証人を立てることは契約当初からの約定であり、これに基づいて自己が公正証書契約上賃貸人益之助に対し賃借人乙山の連帯保証人に指定されたことに被告も異存はないという事実関係において本件賃貸借契約の賃借人が昭和三五年一二月一二日契約成立当初から実質上被告であると認めることは困難であり本件賃貸借の賃借人は昭和三五年一二月一二日契約成立当時も同三六年一月九日公正証書による契約書作成当時も乙山であったと認めるのが相当である。

そこで、抗弁10次いで11の被告主張の当否につき判断する。《証拠省略》によれば昭和三五年九月頃被告がさる看板事務所の一部を借りてネオン工事業を営み、京都市東山区《番地省略》の民家の二階に間借し、乙山と内縁関係を結んでいたこと、被告が昭和三五年一二月一二日成立した本件家屋賃貸借を乙山に代理して締結したこと、乙山が引渡を受けた当時から被告が本件家屋に住んでいたことが認められる。また、《証拠省略》によれば、被告は本件家屋に入居当初から昭和三六年九月初め頃までその内縁の妻である乙山と同居していたこと、被告は、昭和三六年一月本件家屋上に丸形商標と第一ネオンの商号とを横書きにした営業用ネオン看板を屋根一杯に掲げ、自己の氏名のみを記載した表札を表入口に掲げ、本件家屋で入居当初からネオン工事業を営んでいたこと、乙山は本件家屋に自己の氏名を記載した表札を掲げていなかったこと、被告は、本件家屋賃貸借契約締結に伴い、前叙権利金三〇万円、敷金一〇万円、家屋造作改築費、電気設備工事費、営業用ネオン看板新設費等のほか昭和四一年一月一〇日頃までに前叙本件家屋家賃六〇か月分(昭和四一年二月分は家屋明渡係争中により供託)を負担し益之助に支払ったこと、益之助は本件家屋のすぐ北側(裏側通路の反対側)にその妻愛子とともに居住し、被告と乙山(昭和三八年一一月二九日以降は被告の妻花子)とを含む家族ぐるみの近所づきあいもしていたのであり、益之助は、被告から昭和三六年一月分の家賃の先払を受け、同月中旬本件家屋に乙山と被告とが入居同棲してからは同年九月初め頃まで毎月末翌月末の家賃を被告が益之助方に持参するか当時から益之助の妻であって同居していた柳田愛子が被告方で取り立てるかであったので、自宅に近接した本件家屋において、被告を世帯主とし、乙山を内縁の妻とする家庭生活が営なまれていることを妻を介し又は自ら見聞し、近所づきあいの際本件家屋中の店舗において被告個人の経営、乙山の手伝いでネオン工事業が行われているのを自らまたは家族から見聞きする機会は少なくなかったことが推認される。公正証書中賃借人乙山の住所が京都市左京区《番地省略》と記載され、被告の住所が前叙東山区《番地省略》と記載されているのは、《証拠省略》により、乙山が届出にあたり既に賃貸借契約が成立し、また、昭和三六年一月一日以降の賃料先払義務もある本件家屋を住所に選んだことによる印鑑証明書の住所の記載に基づくものであり、被告の住所はかねて登録ずみの印鑑証明書記載の住所に従ったものであると推認することができるから、前認定の妨げとなるものでなく、《証拠省略》中前認定に反する部分は《証拠省略》に照らし採用することができない。

ところで、《証拠省略》によれば、被告は乙山にやがて妻となってほしいと申し入れ、同女と内縁関係を結んで同棲中、昭和三五年一二月一五日本件家屋賃貸借契約を益之助と締結するに際し乙山に代理して賃借人を乙山としたが、乙山の意向もあり入籍に至らず、昭和三六年九月初め、家屋賃借人である乙山と被告と双方の母親が立会い協議のうえ乙山は被告に賃借権を譲渡して内縁関係を解消し、乙山は同年九月頃本件家屋を退去し、被告はその後も本件家屋に居住しネオン工事業を継続したことが認められる。前叙事実、《証拠省略》によれば、被告は、死亡した先妻の子三人を郷里の母に預け、京都でネオン工事業を始め、前叙のように本件家屋で自ら世帯主となって乙山と世帯を構え、店舗を営なみ乙山の手伝いでネオン工事業を個人経営していたが、昭和三六年九月頃乙山との内縁関係が解消し、乙山が本件家屋を退去し、一人世帯となってしまったため、二、三か月後先ず、郷里から三人の子を本件家屋に呼び寄せ、同居し、同三八年一一月二九日現在の妻花子と婚姻して本件家屋に同居し、さらに同三九年一月被告の母を呼んで本件家屋に同居したが、同女は同三九年五月に死亡したこと、昭和三八年一一月以降も被告の氏名のみを記載した表札が本件家屋表入口向って左側の柱に掲げられていたこと、益之助は、従前どおり別紙物件目録添付図面に(附)と表示した附属建物に妻愛子、二男稔と居住し、本件家屋賃料は、被告が持参しないときは愛子又は稔が本件家屋に取立てに来ていたのであり、右取立の際花子も二回面接したことがあり、愛子又は稔は花子から乙山名義の本件家屋賃料を異議なく受領し、花子は町内の役に当って益之助方で愛子又は稔から町費を受け取ったことがあり、昭和三九年五月被告の母が死亡した時には愛子が通夜に参り供物を献げ、本件家屋につき五年の期間が満了する以前も被告は本件家屋でネオン工事業を営んでいたこと、その後益之助は昭和四一年一二月一日死亡した(この点は当事者間に争いがない。)ことが認められる。前叙昭和三六年八月までの各事実、《証拠省略》によれば益之助又はその代理人である原告に対し乙山又は被告から特に乙山が被告の内縁の妻である旨の挨拶はなかったもののもともと益之助の住居である物件目録添付図面表示の附属建物(附)が主たる建物である本件家屋(主)と三メートル余りしか離れていず、両建物の間に他の建物はなく、益之助、被告の同居者に変動はあったが、日常の生活などが益之助、被告に同居中のその内妻を含む各家族によって行われていたのであり、被告は賃借人代理人として当初の賃貸人益之助に面接し、被告が昭和三六年一月本件賃借家屋の屋上に掲げた営業用看板の記載、同家屋内の店舗では手伝い、家庭で主婦の座を占める女性の氏名が乙山であるのに、被告の氏名のみが記載された表札のみが掲げられていること、当初の賃借人乙山には証書作成当時益之助を代理していた右京区在住の原告も面接していること、乙山と愛子との日常のつきあい、公正証書に賃借人の連帯保証人被告の職業が電気工事業と記載されていること、同証書に本件家屋が店舗用、住居用と記載されていることから、益之助は乙山が被告の内縁の妻であることをおそくとも昭和三六年八月末までに知っていたと認めるのが相当である。そして、昭和三六年八月末以後をも含む前叙各事実、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。被告が本件家屋に乙山の入居当初から同居していたことはかねて益之助夫婦が知っていることであり、乙山が本件賃借家屋から退去して二、三か月後に被告が死亡した先妻の子三名を呼び寄せ、次で昭和三九年一月に被告の母を呼び寄せいずれも本件家屋に同居させ、その間同三八年一一月婚姻した現在の妻花子を本件家屋に同居させているが、前叙のとおり、被告の表札は本件家屋の表入口に掲げられていること、被告がその子供三人、母を引取るとき事後的に、母については同居の妻愛子を通じて、益之助の承諾を得たこと、二度にわたる愛子又は稔の家賃取立てに際し、いずれも花子が本件賃貸借家屋で前示のように面接し、前叙のように町費集金のため花子が益之助方で愛子又は稔に面接し、同三九年五月被告の母が死亡した通夜にも花子が供物を献げ焼香に参じた愛子に被告方でその主婦として面接しているのであるから、おそくとも、昭和三九年五月中には益之助は、乙山が内縁の妻の関係を解消して本件賃貸家屋から退去し、被告の先妻の子、母、被告の妻花子が右家屋に同居するに至ったが同三九年五月被告の母が死去した事実を、すくなくとも、察知していたと認めるのが相当であり、又益之助は本件賃貸借契約当初被告に面接し、かねて直接に又は同居の妻、二男から見聞して本件賃貸家屋に営業用看板と被告氏名の表札のみが掲げられていることを知り昭和三六年一月乙山が本件賃貸家屋に入居当時から被告と同居していることを知り、乙山が内縁関係を解消して本件家屋から退去してのち、事後的にもせよ同居の妻を通じてにもせよ被告の先妻の子三名次で被告の母が本件賃貸家屋に同居していることを知り、おそくとも昭和三九年五月には被告の妻花子が本件賃貸家屋で被告と同居していることを同居の妻愛子から聞いて知っていたことが認められ、しかもこれを知りながら、賃料同額の保証債務金として受領する旨告げるなど何らの異議をとどめることなく、苦情を申し入れることもなく、乙山はどうしているかを聞くこともなしに昭和四一年一月八日まで一年六月以上賃借人乙山名義被告負担で被告手ずから又はその妻花子から支払われる本件賃貸家屋賃料を受領していたことが認められる。《証拠判断省略》

住居用及び営業用として営業主の内縁の妻が家屋を賃借する契約においてあらかじめ内縁関係を知らなかった場合でも、これを知った賃貸人は特段の事情がない限り賃借人とともに内縁の夫が当該家屋に居住し、右家屋をその営業のため使用することに気づき、かつ認容するのが常であるというべきであるから、内縁の夫は賃借人とともに当該家屋に居住し、また右家屋を自己の個人経営する営業用に使用する権利を有し、賃貸人に対しこの権利を主張することができる。もとより内縁の夫の有するこの権利は内縁の妻の有する賃借権に基づくものであるから、内縁の妻の賃借権が消滅すれば、これに伴って消滅するというべきである。但し、これに先立って内縁の妻がその有する右賃借権を右内縁の夫に譲渡し、賃貸人が賃借権譲渡人又は同譲受人に対し右譲渡を承諾したときは、右賃借権の譲渡は内縁の夫と賃貸人との関係でも効力を生じ、内縁の夫は使用収益権を中心として内縁の妻が有していた賃借権を承継取得すると解するのが相当である。これを本件についてみるのに、前叙事実関係に《証拠省略》によれば前叙のとおり、被告はさる看板事務所の一部を借りてネオン工事業を営み、昭和三五年九月頃乙山と内縁関係を結び、他に間借して乙山と同棲しその経営するネオン工事業に信用を得ようとして営業用住居用の家屋を求め他方、益之助は本件主たる建物で食料品商を営んでいたが、中風で手足が不自由となり商売を止め、右建物を賃貸し、その裏側に所有する附属建物で療養しようと計画し、同三五年一二月一二日被告は乙山を代理して乙山が益之助から本件主たる建物を賃借する賃貸借契約を益之助との間で成立させ、次で被告の代理人乙山は益之助の代理人である原告とともに公正証書による賃貸借契約書を作成し、被告は、仲介手数料、権利金、敷金、家屋賃料のほか仲介人、賃貸人等に対する支払をその負担で行い、乙山と本件賃貸借家屋に入居し、乙山に手伝わせてネオン工事業を個人経営し、乙山を内縁ながら主婦として世帯を構えたものの不馴れな経営手伝と家計のやりくりは困難であり、店舗経営補助の道は険しく、乙山が近い将来被告のネオン工事業補助者兼正妻となる見込を持てなくなったため、昭和三六年九月初め、被告らの内縁関係は行き悩み、被告と乙山とは双方の母立会のもとに合意のうえ、同月上旬乙山は賃借権を被告に譲渡して、内縁関係を解消し、右家屋から退去し、被告は乙山から右賃借権を譲り受けて、内縁関係の解消に同意し右家屋に残ったが、被告が京都府電気工事協同組合の出資全額の払込をおわり、ようやく同組合の組合員となったのは、その後二年一〇月を経過した昭和三九年七月一日であった。かような事実が認められる。

被告は、乙山退去の直後益之助が被告の賃借権譲受に明示の承諾をしたと主張するがこれを認め得る証拠はない。

進んで抗弁11の被告主張の当否につき判断する。

被告は、前叙公正証書による契約に従い益之助に対し乙山の保証人として連帯保証債務を負う立場にあったのであり、乙山の退去により一旦一人世帯となったとはいえもともと世帯主であり、乙山を内縁の妻として益之助にことさら紹介したわけではないが、益之助はおそくとも昭和三六年八月末までにこれを知っていたこと前叙のとおりであり、乙山にこれという収入はなく、右公正証書に乙山の連帯保証人として、被告は電気工事業と記載されているようにかねて電気工事業に従事しおそくとも証書作成時益之助の代理人原告従って益之助はこれを知り公正証書上賃借家屋使用目的は居住、営業の併用と約定されている。かよう状態のもとで、賃借権が被告に譲渡され、乙山は本件賃借家屋から退去し、益之助はこれを知りつつ、既に一年六か月以上賃借人乙山名義のまま被告が支払う賃料を何の苦情もなく受領し被告が持参しないときは同居の二男を使者とし、同居の妻を代理人とし被告から家賃を取り立てさせ、あえて同額の金員を保証債務金として領収するなどの異議を留めず、事後的とはいえ本件家屋に被告の子、母の同居を承諾するなど被告を本件家屋の賃借人として応待していたのであり、賃借権の譲渡についての承諾は、賃借権譲受人に対してなされてもよいことは前叙のとおりである(最高裁判所昭和二九年(オ)第八六〇号同三一年一〇月五日第二小法廷判決民集一〇巻一〇号一二三九頁参照。)から、昭和四一年一月八日の経過とともに、益之助は暗黙の中に乙山の賃借権譲渡を賃借権譲受人である被告に対し承諾したと認めるのが相当である。

三  しかるに、《証拠省略》によれば、益之助は、昭和四一年一月一〇日発の書面を以て乙山あてに長男伸一(原告)が両親を扶養するため本件家屋に居住する必要があり、(2)賃貸借期間が満了した。(3)なお、公正証書七条に違反している点からも本件家屋賃貸契約を解除する旨の意思表示をなし、その頃被告に到達したことが認められ、益之助が被告主張の頃被告に対しその主張の本件家屋明渡しの申入れをし被告から益之助に被告主張の当時その主張の各回答がなされ、いずれも益之助に到達したことは当事者間に争いがない。しかし、右昭和四一年一月一〇日発の、書信のあて名として乙山とあるのが被告宛の誤記であると善解しても両書信は賃借権譲渡につき益之助から暗黙の承諾があった後に発信されたものであり、これに対して被告側から正当事由不該当の反論が益之助方に到達したことでもあり、記録上益之助及び原告からその後本訴提起まで一六年八か月余家屋明渡については申立も意思表示も全く認められないことに照らして、右明渡の権利行使状態は、事実上既に自然消滅したと認めるべきである。

四  亡益之助、その死後原告が被告主張のとおり賃料の受領を拒絶したこと、被告が亡益之助、原告に被告主張の期間その主張の供託をして来たことは当事者間に争いがない。前叙のとおり益之助は昭和四一年一二月一日死亡し、その本件家屋所有権を益之助の長男である原告が相続した。さすれば、前叙事実関係の下において、原告は本件家屋所有権のみならず本件家屋賃貸人の地位をも相続したものと認めるのが相当である。

五  してみれば、被告は、原告に対し本件家屋につき賃借権を有することになり、被告は原告に対抗し得べき正当な権原に基づいて本件家屋を占有しているものというべきであるから、原告の被告に対する本訴請求は、附帯請求等その余の点につき判断を加えるまでもなく、失当としてこれを棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 園部秀信)

<以下省略>

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